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【読書】北条氏康-二世継承篇

読書チャレンジ75冊目、『北条氏康-二世継承篇』を読了しました。(順番前後します。)

 

 

戦国時代の先駆けとなり一代で国を興した偉大な祖父「北条早雲」、その意志を継ぎ領土を守り関東統一の足掛かりを作った名君の父「北条氏綱」、「北条氏康」はその3代目にあたります。北条氏康も「相模の獅子」の異名を持ち、自らが赴いた戦では無敗、また北条氏康には体に7か所、顔に2か所の傷があったと言われていますが、背中に傷は1つもなかったとも言われています。戦場で敵を背に逃げたことがなく、「氏康の向こう傷」という言葉にもなっています。

 

勇敢な武将というイメージが強いですが、幼少期は大砲の音に驚いて部屋に隠れたり、勉強や剣術の稽古も身が入らなかったり、「弱虫な若殿」「この若殿で北条家は大丈夫なのか」と家臣の間で囁かれ、父北条氏綱も氏康の教育には手をやいていたそうです。『二世継承篇』はそのような氏康の幼少期、そして後に氏康の参謀となる風魔小太郎の成長物語です。

  • 氏康(10歳⇒16歳)
  • 小太郎(18歳⇒24歳)

 

小太郎は優秀な忍者なのですが今でいう「新卒」という立場の参謀でいろいろと失敗をしてしまいます。また、氏康は16歳で初陣を迎えますが、その初陣で大きな失敗をしていまします。

 

関東地方に「勝坂」という坂があるようです。それは初陣で勝利した北条氏康が「勝った、勝った」と叫んだというところからつけられた名前のようです。

 

大大名の初陣は13歳~17歳頃で、「絶対に勝てる条件」で出陣させる儀式的なようなものでした。氏康は「籠城(城に籠って城を守る)せよ」という父の命令で城に入りそれが初陣となる予定でした。しかし、状況が変わり敵に援軍が来るという情報が入ります。敵に援軍が来ると籠城しては勝ち目がなくなる、「籠城か野戦か?」という議論が行われました。

 

北条方の兵力は約1,500人~2,000人、相手方は3,000人~3,500人。大将は戦経験がなく初陣の北条氏康で、家臣の間では「弱虫」「臆病」と言われていました。相手方もそのことは知っていたので、臆病な若者が出てきた所でどうということはないと踏んでいました。

 

氏康の決定は「自らを囮として使い、別動隊に奇襲をさせる」というもので成功の見込みは非常に低いものでした。そして、氏康の本陣まで敵が迫った場合は、敵と刃を交え、そこを自分の墓場にするというものでした。家臣は逃げるようにと氏康に進言しますが、氏康は一向に聞き入れなかったと言います。敵が氏康の本陣に入り氏康自身も刀を使って応戦し、そのとき別動隊の奇襲が成功し戦は北条方の勝利で終わります。

 

そのときの勝利の喜びからつけられたのが「勝坂」です。「弱虫」「臆病」と言われ続け、戦もまともにできないと思われていた氏康ですのでその喜びはいかほどだったかと想像できます。

 

偉大な父に褒めてもらえるかと期待に胸を膨らませましたが、父から発せられた言葉は「なぜ城を捨てて逃げなかったか」という厳しい叱責でした。「一歩間違えれば、氏康自身が命を落とし、優秀な他の武将までもがお前の命令のせいで命を落としていたのかもしれない。城はいつでも取り返すことができるが命はそうではない。なぜ北条家の10年20年先を見据えた判断ができなかったのか!」という厳しい言葉でした。氏康は自分のふがいなさと未熟さで顔をあげることができなかったといいます。『二世継承篇』ではここで話が終わります。

 

父北条氏綱は「勝って兜の緒をしめよ」という有名な言葉を残しています。戦に勝った時ほど気持ちを引き締めなさいという意味で、初陣で勝ったからと言って浮かれてはいけないという父親の思いもあったのでしょう。ただ、15歳~18歳頃の若者が劣等感を克服できたということは自信につながったとも思います。

 

高校生の生徒にもぜひ読んでほしい本です。今の高校生の生徒と年齢が近く決して優秀ではなかった一人の若者が様々な人との交流や失敗を繰り返し名君と呼ばれるまでに成長する過程からは学べることが多いと思います。高校生の生徒は「北条氏康」の成長という立場で物語を読むことができると思いますし、大学生の方は新卒の軍師「風魔小太郎」の新卒の厳しさや未熟さという視点で物事を読むことができると思います。保護者や指導者の方は「北条氏綱」の甘やかさない教育という視点で物語を読むことがきるかもしれません。

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