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【7月5日】フィリピン留学

昨日の授業では、「またか精神論か」と思われるかもしれないですが英文を書く際に「文字に魂を込めろ」と伝えました。文字や言葉に魂を込めるという感覚は大学院留学の前のフィリピン留学で初めて持った感覚かもしれません。今まで一度も話したことがなかったのですが、フィリピン留学について詳しくお話したいと思います。

 

フィリピンを選んだ理由

 

フィリピン留学の利点は「毎日が英語漬け」ということです。朝8時に授業が始まり毎日10時間~12時間の授業+強制自習4時間~5時間とインテンシヴに英語学習に取り組むことができるので特に試験に向けて集中して学習したい方には最適な環境です。本当は6か月程滞在しようと思いエージェントの方に相談すると「短期(3か月)でしっかり勉強して結果を残す方が良い」と言われたので3か月留学することに決めました。

 

最初の2週間

 

フィリピン留学を成功させられるかどうかはバッジメイト(同期入学の学生)と良い関係を築くことができるかというところが大きいようです。私のバッジメイトは韓国人が15名程度、中国人が2名、そして日本人は私1人でした。良い意味でもそうでない意味でもアウエーな環境と捉えることもできると思いますが、当時はIELTSで大学院留学に必要な点数をとることTOEICで900点を超えること英検1級をとること、そしてその後イギリスの大学院留学を成功させること、そのことしか考えていなかったので「正直、人間関係なんてどちらでも良いかな」と感じていました。

 

韓国人同士は韓国語で話していたので何を言っているかわからないことが多かったですが、全員が留学に対して前向きな気持ちでもなく「親に言われて無理やり」という学生がいたり「バケーションの一貫で」という学生も非常に多かったです。門限が10時、異性の連れ込み禁止、部屋での飲酒禁止、この3つが学校の大きなルールだったのですが破っている学生が多く、尚更「自分とは関係のない人たち」と感じていました。

 

「お互い悪い人間ではない」という共通認識はあったのですが、国籍も含め薄い壁のようなものはあったように感じます。最初の2週間は非常に居心地が悪かったです。

 

レイチェル

 

少し状況が変わったのが、バッジメイトにレイチェルという女の子がいたのですが風邪で学校を休んでいました。バッジメイトでは唯一の同い年の学生で、会えば話くらいはする関係だったのですが、レイチェルに症状を聞いて風邪薬と果物、そしてブランケットを買って持っていきました。日本ではあまりそのようなことはしないですが、自分から歩み寄ってみました。そこからレイチェルの周りの学生が話かけにきてくれるようになり、状況が変わる出来事だったかもしれません。レイチェルに関しても、その後模試のライバル関係になりました。

 

校内模試

 

もう1つ、校内での状況を変えたのが学校で行われた校内模試でした。学校には当時150名程学生がいたのですが、その校内模試で1位になり表彰されました。

 

 

その後に控えている大学院留学のことを考えると「ここで1位になっても…」という気持ちはあったのですが、写真が校内に張り出されることでバッジメイト以外の学生も話しかけてくれることになり、勉強のライバルが増えるきっかけにもなりました。

 

1名、名前は知らなかったのですが、ノルウェーの大学院を目指していた女の子がいて夜遅くまで学校に残って勉強していました。私も毎晩1時頃までは校内に残って勉強していたのですが、その女の子もそれくらいの時間まで残って勉強していました。学校のスタッフの話によると"打倒Kyo"を掲げていたようで、2回目の模試も私が校内で1位だったのですが、その女の子は3位で泣いていたようです(ちなみにレイチェルが2位でした。)

 

困っている人に手を差し伸べる

 

この頃になると、少しバッジメイトの状況も理解し始めていて、男子同士、女子同士の中で派閥のようなものができ始めていました。「めんどくさそうだな。どの派閥にも入っていなくて良かった」というのが本音で出来る限り誰とも深く関わりたくはなかったのですが、話を聞いていると彼らなりに悩んでいることや、将来が見えなくて不安だったり、それが人間関係のトラブルにつながったり、いろいろあるのかと考えさせられました。

 

いつも通り夜1時頃学校を出て帰宅すると、道中で1名の韓国人のバッジメイトの男の子(トラブルメーカーでした)が歩いていて「こんな時間に何しているの?」と聞くと「眠れなくて」と言っていたので、「自分でよければ話をきくよ」と伝えると「Kyoのように将来何がしたいか決まってなくて勉強を頑張ることができない。本当はよくないってわかっているんだけど。」と伝えてくれました。いろいろと話をしたのですが、「自分があなたの歳の頃は何がしたいかわからなくてふらふらしていた」ということ、「必ずこの先夢中になれることは見つかる」ということ、そして「今はそのままで大丈夫だよ」と伝えました。目を真っ赤にしながら話を聞いてくれていました。

 

また別の日には50代の日本人の男性の方が「日曜日にお気に入りの先生をデートに誘いたいので通訳してほしい」と話しかけられました。「どうして俺がそんなこと…」と感じたのですが、先生とデート自体は禁止行為ではなかったのでその先生の所へ行き通訳をするとその先生から「Kyoがそのデートに来てくれるなら大丈夫」と言われたので結局デートの仲介をすることになりました。ただ「日曜日はTOEICの模試を必ず解いているので14時になったら帰ります」と伝え、デートの仲介をしたこともありました。

 

また、最終日にはバッジメイト全員で居酒屋に飲みに行くという話になりましたが中国人の男の子が「行けない」と話していて、心配になったので寮まで行って話をすると「飲みにいくと帰国のお金がなくなる」ということでした。その時私の財布の中には1万5000円ほどしかなかったのですが1万5000円渡して「帰りの足しにしてほしい。そして返さなくていいから絶対に最後の飲み会に来てほしい」と伝えました。「受け取れない」と返されましたが「俺が君に飲み会に来てほしいから」と伝えるとそのお金を受け取ってもらえました。

 

誰とも深くかかわるつもりはなかったのですが、振り返ってみると本当に様々なことがありました。

 

EOPルールの復活

 

フィリピン留学で自分のルールと決めていたことが「フィリピン留学中は日本語を使わない」ということと、「土日はTOEICの模試を解く、土日は学校がない日も12時間は勉強をする」ということでした。向こうで出会った日本人の方に助けられたのが、私が英語で話しかけても英語で嫌がらずに返答してくれたことです。普通、そのような和を乱すようなことは嫌われると思うのですが、ありがたかったです。

 

ただ、韓国人同士は韓国語で、日本人同士は日本語で、中国人同士は中国語で母国語を話していたので、学校のスタッフの方に「EOPルール(校内母国語禁止)を作りたい」と提案しました。学校側も前向きに対応してくれ、掲示板で呼びかけてみてください、と言われたので掲示板で呼びかけると40~50名程参加者が集まり校内8:00-17:00(夕食まで)は母国語を禁止、というルールを作り実施しました。

 

ルームメイト

 

フィリピン滞在中には3つ年下の男の子と寮で2人暮らしだったのですが、"Kyo brother"と呼んでくれる気さくな男の子でした。深くは話せないのですがSouth Koreaではない方のKoreaの出身で、一度だけ酔っぱらった際に部屋の中で過去を思い出してフラッシュバックして暴れてしまいベッドで2人向き合って過去を話したこともありました。日本ではなかなか体験できない出来事でした。

 

デート?

 

その後、そのルームメイトのデートの仲介もすることになったのですが、個人的には勉強のことしか考えていなかったので恋愛に関しては何事もなく留学を終えました。

 

1度だけ校内で1番人気があったのではないかと思う韓国人の女の子に食事に誘われたことがありました。私のバッジメイトではなかったので話したことはなかったのですが、周りの男友達から非常に人気の女の子で顔は知っていたかなという程度でした。相変わらず「日曜日はTOEICの模試をするので14時までなら大丈夫です」と伝え食事に行きました。「ずっとKyoと話したいと思っていた」と伝えられ「なぜ自分のようながり勉と?」と非常に驚いたのですがそこでも「どうすればそこまで前向きに頑張れるの?」と聞かれました。韓国人にとっては「勉強」や「頑張る」ということが日本人に比べて、特別で美しく見えるのかもしれません。

 

頑張っているつもりもないけれど、強いて言うなら今は自分が校内模試で1位をとるとバッジメイトが喜んでくれ誇りに思ってくれるから。」と話しました。

 

留学の後半の出来事だったのですが、個人の大学留学のことしか考えていなかった最初の頃と比べると自分の中で大きく何かが変わっていたのかもしれません。今教室には、このような「自分のための努力。誰かのための努力」という言葉を掲示しているのですが、その理由の1つは実はここから来ています。

 

 

最終日

 

誰とも関わるつもりがないと思っていたフィリピン留学でしたが、海外の大学院を目指す韓国人と中国人、計4名と仲良くなり常に行動を共にするようになっていました。夕食後には次の授業まで散歩に出かけ、夜の空に向かって手を合わせて「大学院に合格できますように」と皆で祈っていました。最後に手を合わせたのは帰国前日でブルームーン(ひとつきの2度目の満月をブルームーンと言います。)でした。月が非常に綺麗だったことを覚えています。

 

最終日は、簡単なセレモニーがあり、個人的には一番仲が良かったレイチェルとプレゼントを交換しました。大学院を目指していた4名のメンバーとバス停で最後に抱き合い「必ず目標を達成しよう」と伝え合いました。

 

他にもいろいろあったのですが、フィリピン留学は人生を変えるきっかけにもなった出来事でした。まず1つ目が、「自分が学ぶ環境は自分の行動で変えることができる」ということです。学校でも塾でもどこでもそうだと思いますが、100%自分の理想とする環境はありません。むしろ多少の不満足があった方が自分を成長させられると感じ、その中で自分はどうすれば学びを良くすることができるかと考え実践することができました。

 

そしてもう1つが、「誰かと目標を達成することを意識したこと」でした。勉強や資格は「個人の勝負」と認識されがちですが集団の力が大きく影響を与えます。上達する集団は上達しますし、下達する集団は下達します。自身の働きかけによって上達する集団を形成することができたのは自信につながり、イギリスの大学院留学で「周りを巻き込んで自分を成長させる」という明確な目標につながりました。

 

もしこのフィリピン留学がなければその後のスコットランドの留学も、GRITの校舎運営も別のものになっていたと思いますので繰り返しになりますが人生でポジティヴな影響を与えてくれた体験となりました。

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