15歳のメッセージ
生徒の皆さんは知っているように私は自身のプライベートな話もほぼしませんし生徒のプライベートな話を聞き出すようなこともほぼありません。生徒側から話してくれると「うんうん」と話は聞きますが。ただ、話の節々から「学校でいろいろあったんだろうな」と感じることもあり、何を話せば良いかもわからなかったので1名の生徒に「15歳の私が良いこと話してくれるらしいよ。」といって、1つのメッセージを見せたことがありました。
上から目線で申し訳ないですが、成績がオール5で生徒会長だった当時の私でも先生から厳しいことを言われたり友達とケンカをしたこともあるので、「学校で何かある」ことはまあ自然なことではないかと思います。
「このメッセージ、20年程前の物ですけど今言ってることと全く変わらないね。昔から、説教くさい面倒な人だったんだね」と笑い話に変えましたが、少しでも元気になってくれたら良かったと思います。
18歳のメッセージ
私が高校時代バンドを組んでいたという話を知っている生徒も多いかもしれません。楽器はそこまで上手ではなかったのですが、曲を作ったり、歌詞を書いたりするのが好きで、高校時代はギターを持って部屋にこもってパソコンで作業しているような毎日でした。
高2か高3の頃ですが友人の父親から「がんばんだぞ」というX JAPANのHIDEさんと難病の少女の交流を描いた本を借りて読み、感動し、「君がくれた物語」というタイトルの曲を一晩か二晩で作りました。
その女の子が和歌山在住の方でご両親がカフェを経営されている方でしたので、曲をCDに入れその女の子に渡しに行きました。HIDEさんゆかりの物を見せてくれたり、「YOSHIKIさんも真由子さんに会いに和歌山に来られたことがあったんだよ」と教えてくれ驚きました。
hide(X JAPAN)と娘の“約束”と思い出を形にした和歌山のカフェ | ファンの店 第11回 - 音楽ナタリー コラム (natalie.mu)
若い世代の方は知らないと思いますが、御前でピアノを演奏されるような方でしたので、YOSHIKIさんが和歌山にいる姿を想像すると…シュールですね。
高校時代に作ったほとんどの曲の歌詞は忘れてしまったのですがその歌詞の大サビの部分はよく覚えていて「歌えやみんな 嫌なことも忘れて 今日一日がハッピーであるために 悲しいことは飲み込んじゃって でも苦しいことには立ち向かえ」「白紙の地図の上 歩いて迷うことも 迷わないよりいいんじゃない? 走り続けること 終わらせたくないんだ 宇宙一綺麗な君の笑顔と」このような歌詞でした。
来春留学を予定している生徒が多いようです。中にはサポーティヴな家庭もあれば、留学には反対しているという家庭もあるようです。どんな状況にいても「本当にそれがしたい」と思っていることであればいずれ叶いますし、環境に甘えていれば留学も長期の遠足です。そして何より、留学を実現させるために自力で活路を見出すのも留学の醍醐味です。
「人生は白紙の地図のようなものでどういう地図を描くか、何色で塗るかは結局自分次第」と18歳の頃の私が話しています。面倒な高校生ですね(苦笑)皆さんがどんな地図を描くか楽しみです。