桂浜
11月14日の授業が始まる前、生徒と今後の授業の日程の確認をしている際に「明日は何の日だと思いますか?」と質問しました。1つ目のヒントとして「私の尊敬する人物の1人に関する日」、2つ目のヒントとして「日本で初めてハネムーンへ行ったと言われている人に関する日」、3つ目のヒントとして「そのハネムーンの際に温泉で刀傷を癒した」という3つのヒントを与えました。3つヒントを与えても答えにたどり着きそうになかったので、「語尾が『ぜよ』というイメージがあります」とヒントを与えると「坂本竜馬!」と気づいた生徒もいました。
11月15日は坂本竜馬の誕生日でもあり命日でもある日です。まあ、それだけなのですがその後生徒に「先生、年末の塾の予定どうなっていますか?」と質問され、「まだ決まっていない。まずいぜよ。」と返答すると笑っていました。
坂本竜馬はよく地元の桂浜へ訪れたようです。桂浜に立つ竜馬像がアメリカを見ているように、海の向こうに広がる世界を夢みていたのでしょうが、結局一度も外国へ訪れることなく11月15日、31年の生涯を終えました。
よく「歴史の上に立つ」といいますが、今この時代に生きている私たちは幸運です。幸運すぎて私たちにあの当時、幕末を生きた人々と同じような情熱や覚悟があるだろうか、与えられる日々の幸せを当たり前と思っていないか、そのように問うこともあります。特に海外留学を志す生徒は「あの坂本竜馬でも叶わなかった夢」と思うと、自分たちがどれだけ恵まれた時代にいるかそのありがたみや重みを感じることができ、モチベーションにもつながるかもしれません。
勝坂
前回の記事では「坂」という言葉を使い、今回の記事では歴史に触れていますので、「坂」と「歴史」関連の話をもう1つ。
2,3年前に北条氏康の生涯を描いた歴史小説を2冊読みました。
北条氏康は戦国時代、武田信玄や上杉謙信と同時代に関東一帯を治めた大大名で「相模の獅子」の異名を持ちます。「氏康の向傷」という言葉も残っていますが、傷は全て体の前面、つまり戦では常に先頭に立ち敵に背を向けなかったということを表す言葉で猛々しさが伝わります。(北条氏康は坂本竜馬と同様に尊敬する人物の一人です。氏康の父氏綱のことも尊敬しているのですが氏綱が子氏康に残した「勝って兜の緒を締めよ」はライフレッスンの1つとして心に刻んでいます。)
ただ、幼少期は臆病で「大砲の音に驚き自室に逃げ込んでしまった」という程弱弱しいエピソードも残っています。その北条氏康が初陣を飾ったのが16歳の頃、中学生や高校生の皆さんと同じ年の頃です。敵には相手にもされず、味方にも北条の世継ぎとしてふさわしくないのでは、氏康の武将としての素質を疑う声があり肩身の狭い思いをし続けたのでしょうがその初陣を大勝利で飾ります。嬉しさのあまり「勝った、勝った」と叫びながら駆け上がった坂が「勝坂」です。子どもらしさと、覚悟を表すエピソードで高校生の生徒にも知ってもらいたいお話です。
猛々しく学び、いつか「勝坂」を駆け上がる自分たちの未来の姿をイメージしてください。